「俺は必ず生きて帰り、この惨状を祖国に伝えよう」と決意し立ち上がった。
その時であるスピッチに似た白い小犬が50メートル程先を走っているではないか。
「この辺りに部落でもあるのか」と思い、その方に歩いた。
犬は山の木立をぬって走る。犬が見えなくなった所まで行くと、又、犬の尻尾が見えた。
こんなことを幾度も繰り返し、何日犬の案内で歩いたか分からないが、広い原っぱに出た。
そこは軍属が自活のために作った農場だった。小さなトマトが鈴なりに実を付けていた。夢中で食べた。
食べながら辺りを見渡すと小さな小屋があった。恐る恐る近付くと人が居た。 |
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一瞬びっくり、相手もびっくり、お互いに日本兵と分かると笑顔になった。
「何中隊だ」と尋ねる。
「歩兵第三大隊第11中隊の泉田源吉上等兵だ」と名乗った。私も同様に名乗った。
初めて出遭った二人は、これ迄の出来事を色々語り合った。
苦しみは分かち合うことで半減するというが、今の二人はそれであった。
「俺達は、何処に養子に出ても勤まるな」等と久々に笑いが出た。
又「どんなに肉体的苦しみには耐えることが出来ても、孤独には耐えられないことが分かった」等と話し合った。
同じ苦しみを知る友を得た喜びに、勇気百倍の心境であった。
それから、泉田源吉上等兵(岩手県鳥海村出身)とは捕虜になるまでの約1か月間行動を共にした。
二人は疲れ果てやせ衰えていた。
ただ若さが持つ生命力の強さだけを頼りに生きていた。
それにしても、あの「白い犬」はどうしたのだろう。
以来見かけることはなかったが、私は今でもあの「白い犬」は粕谷達の化身だったと信じている。
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