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日本は東南アジア諸国を植民地支配から救う戦いに挑んだ
真実は「開戦の詔書」にあり
軍部の暴走は嘘
明治憲法下では天皇は統帥権を持っており軍部の暴走はあり得ない |
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明治憲法下で「軍部の暴走」はありえない。 |
戦後生まれの日本人は戦後の偏った教育で、日本は悪の帝国、腹切り、斬首刑など残虐な日本人が殆どだと教科書や教育関係者、政治家、マスコミ等から学び、多くの日本人はそれに見事に洗脳 されています。しかし実際は、1492年コロンブスがアメリカ大陸発見以来、70ケ国以上の有色人種国家に数百年にわたって侵略・略奪をくり返していたのは、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、アメリカ、オランダなどの白人国家であり、日本も植民地にされる直前だったのです。
戦争は、二発の原子爆弾投下や東京大空襲などの民間人を殺害する国際法違反の卑怯な手法を何度も使われ、仕方なしに降伏しています。しかし、戦後、植民地支配されていたアジア各国からは「独立の切っ掛けを作ったのは日本だ」と高く評価され、世界の識者からも感謝され評価されているのです。戦後の日本では、自虐史観が蔓延し大勢を占める中で、敢て、このような有難くも貴重な御言葉から、遅ればせながら自信回復のキッカケにしたいものです。
終戦から早や80年、アジア諸国は全て独立を果たしたことは勿論、多くの国々が欧米と肩を並べるほどに発展しています。逆に、あれほど栄華を極めた白人の欧米諸国の殆どは搾取していた植民地を失い四苦八苦の現状が伝わってきます。
なお、戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)支配下では、プレスコード(報道規制)により、発行文書は全て検閲を受けて、日本の正当性を主張する意見は全て却下されていたのです。つまり、GHQの日本人洗脳工作「WGIP」によって、「開戦の理由は国民にこのように伝えなさい」「原爆投下はこのように国民に伝えなさい」と一つ一つ細かく検閲を受けていたのです。その結果が、「開戦は軍部が暴走した」「二度と過ちは繰り返しませぬから」と真実が捻じ曲げられたと伝わっています。
そして、真実に反する意見を仕方なく受け入れ報道したことが、そのまま現在に引き継がれて、恰も真実であるかのように国民の脳裏に刷り込まれ定着するのですから、GHQの検閲による言論統制・言論弾圧の恐ろしさを知るべきです。
そして、日本人は有色人種のくせに生意気だからと、日本人の殲滅計画は、19世紀初頭にアメリカで密かに立案されていた「オレンジ(日本)計画」も知る必要がありますが別の機会にします。我々戦後生まれの日本人も、戦後の政治体制や教育、報道などで強く植え付けられた自虐史観・反日思想をいつまでも抱えていないで、そろそろ自信を回復したいものです。
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かつて亜細亜を支配していたのは白人国家だ
日本軍が戦ったのは、その白人の軍隊だ。 |
日本がアジアを侵略したと言うが、全て嘘です。
かつてのアジアに存在していたのは、イギリス、フランス、オランダ、スペイン(後にアメリカ)、ロシア(=ソ連)でした 。印度やベトナム、カンボジア、ラオス、インドネシア、フィリピンでも、白人国家に支配され、白人の軍隊が数万人駐留していたのであり、日本軍が戦ったのは、その白人の軍隊です。中には有色人種の使用人も一部いましたが、それは通訳や運転手、調理などの僅かな人数でした。
植民地支配されると、当然ですが支配国の軍隊が駐留して、その地域は支配国の支配下に置かれ、政治・経済・文化・教育など全ての自由が奪われます。
支配国は植民地の資源や労働力を自国の利益のために搾取して、現地の人々は奴隷として低賃金で働かされ、教育や医療などの基本的な福祉は受けられませんでした。さらに、自国の文化や言語が否定され、支配国の価値観が強制されていたのです。港湾や道路などインフラ整備が進む場合もありましたが、それも主に支配国の利益のためであり、住民の生活向上には役立っていません。
このような白人による支配は、1492年コロンブスがアメリカ大陸発見以来進められています。そして、日本の直ぐ南方のフイリピンがアメリカの植民地になると、日本の包囲網は狭くなり、石油の輸入は絶たれ、危機感は相当なものだったと想像できます。
武士の国家・日本が、こんな屈辱に耐えることは出来るはずがありません。諸葛孔明の言葉という「座して死を待つより、出て活路を見いださん」は、当時、殆どの日本人の気持ちだったはずです。
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植民地支配の映像
これが植民地支配の現実です。日本人が、これに耐えることは出来ません。 |
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開戦の詔書(現代文) |
昭和16年(1941年)12月8日に、日本海軍はアメリカのハワイの真珠湾を攻撃し、また日本陸軍はマレー半島に上陸してイギリス軍を撃破してシンガポールを目指して進軍を開始しました。その時に発せられたのが「米英両国に対する宣戦のご詔勅」です。
詔書には「日本がなぜ米英に対して戦争を行ったのか」が丁寧に説明されています。
下段に記載した内容が、現代文の詔書です。「軍部が勝手に暴走した」、「亜細亜を侵略する」などのは言葉一切ありません。殆どの国民はこの「開戦の詔書」があることさえ知らないようです。
それはマスコミが「不都合な真実」として国民に知らせないからです。 |
詔 書
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者は務めに励んで職務に身を捧げ、私の国民はおのおのその本分を尽くし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ、この戦争の目的を達成するために手違いのないようにせよ。
そもそも東アジアの安定を確保し、世界の平和に寄与する事は大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、私が常に心がけている事である。そして各国との交流を篤(あつ)くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や不幸にして、米英両国と争いを開始するに至った。誠にやむをえない事態となった。
このような事態は、私の本意ではない。
中華民国は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態に至らしめ、もう四年以上経過している。幸いに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する政権(蒋介石)は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だに相互のせめぎ合う姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。(それだけでなく)与(くみ)する国々を誘い、帝国の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与え、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようと、長い間忍耐してきたが、米英は少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態が続けば、東アジアの安定に関して我が帝国の積年の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。ことここに至っては、帝国は今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊をいただき、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、速やかに禍根をとり除いて東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御 名 御 璽 昭和十六年十二月八日 |
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「開戦の詔書」と「終戦の詔書」はつながっている。 |
終戦の詔書 (現代語訳) |
終戦の詔書は、 1945年8月14日に天皇の大権に基づいてポツダム宣言受諾に関する勅旨を国民に宣布した文書。1945(昭和20)年8月14日に発布され、戦争終結が公式に表明された。同日、天皇は詔書を録音、翌15日正午、その内容はラジオ放送を通じて広く国民に報じられた。 |
【終戦の詔書(現代語訳)】
私は、世界の情勢とわが国の現状とを十分に考え合わせ、非常の手立てをもってこの事態を収拾しようと思い、私の忠義で善良な国民に告げる。私は政府に対し、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、四国共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。
そもそもわが国民が健やかに、安らかに生活できるよう心がけ、世界の国々とともに栄えその喜びを共有することは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、私も常に念じてきたところでもある。したがって、さきに、アメリカとイギリスの二国に宣戦布告した理由もまた実に、わが国の自存とアジアの安定を心から願ったためであって、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりするようなことは、もちろん私の意志とは異なる。しかしながら、この戦争が始まってすでに4年がたった。陸海軍の将兵は勇戦奮闘し、多くの役人たちも職務に励み、一億国民も各職域に奉公してきた。それぞれが最善を尽くしてきたが、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我々に不利である。そればかりでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷し、惨害がどこまで広がるかはかり知れない。なおも戦争を続けるなら、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも打ち壊すことになるであろう。そのような事態になれば、私はどうして我が子のような国民を保護し、歴代天皇のみたまにお詫びできようか。これこそ、私が政府に対し、ポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。
私は、わが国とともに終始アジアの解放に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明しないわけにはいかない。わが国民のうちで戦死し、職場で殉職し、不幸な運命で命を落とした人々やその遺族に思いをはせると、まことに悲しみに耐えない。また、戦争で傷を負い、戦禍に遭い、家業を失った人々の厚生を考えると深く心が痛む。思うに、これからわが国が受ける苦難は尋常ではないだろう。わが国民の心中も私はよくわかっている。しかし、時世の移り変わりはやむを得ないところで、耐えがたいことを耐えて、忍び難いことも忍んで、未来の平和を実現するために道を拓いていきたい。
私は今ここに、国体(天皇を中心とする秩序)を護持し得て、忠良な国民の真心を信じ、常に国民とともにある。もし激情にかられて、みだりに問題を起こしたり、同胞が互いに相手をけなし、おとしいれたりして時局を混乱させ、そのために人間の行うべき大道を誤って世界から信義を失うようなことがあれば、それは私が最も戒めたいことだ。全国民が家族のように仲良く分かち合い、長く子孫に受け継ぎ、わが国が不滅であることを固く信じ、国の再建と繁栄への任務は重く、その道のりは遠いことを心に刻み、持てる力の全てを未来の建設のために注ごう。道義心を大切にし、志を強固にして、わが国の美点を発揮して、世界の進歩に遅れないよう努力しなければならない。わが国民よ、私の意のあるところを十分汲み取って身につけてほしい。 |
大東亜戦争終結のご詔勅 – 現代語訳 (加代昌広)
(注)「詔書」は天皇の名において出されるものであるため、
現代語訳にある「私」とは全て昭和天皇ご自身のことを指します。 |
私は世界の情勢と大日本帝国の現状を考慮して、緊急の手段をもってこの状態を収めたいと思い、ここに忠誠心があって善良なるあなたがた臣民に告げます。私は、帝国政府に、アメリカ、イギリス、中華民国及びソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)に対してポツダム宣言を受諾するように通告しました。
そもそも、大日本帝国の臣民が平穏に安らかに暮らせるように心を傾け、世界の国々と共に栄えていく喜びを共にすることは神武天皇及び歴代の天皇が遺してくださった教えであり、私(註:昭和天皇)もいつもいつも心に留めているところです。先に米英2国に対して宣戦したのも大日本帝国の自衛と東アジアの安定を願ったためであって、他国の主権を排して他国の領土を侵略するようなことは、もとから私は考えてはおりません。それなのに、大東亜戦争が始まってから既に4年が経ち、陸海軍の将兵は勇敢に戦い、公務員も精を出して仕事に励み、1億人の臣民もそれぞれが最善を尽くしたのにもかかわらず、戦局は好転せず、世界情勢もまた日本に不利な状況にあります。そればかりでなく、敵は新たな残虐な爆弾(原子爆弾)を使用してむやみに罪のない臣民を殺傷し、そのいたましい被害の及ぶ範囲ははかりしれないほど大きなものとなっています。しかも、なおこれ以上の交戦を継続すれば、我が日本民族の滅亡を招くのみならず、ひいては人類の文明をも破壊することになるでしょう。そのようなことになれば、私は何を以って1億人の我が子のような臣民を守り、さらに神武天皇以来の歴代天皇の御霊に謝ることができましょうか。これが、私が帝国政府に対してポツダム宣言の受諾に応じるように命じた理由です。
私は、大日本帝国とともにずっと東アジアの解放に協力してくれた諸国に対して申し訳ないという気持ちを表せざるを得ません。大日本帝国の臣民においても、戦地で命を失ったり職場で命を失ったり非業の死を遂げた者及びその遺族に思いを致せば、私は身も心も引きちぎれそうな思いになります。そして、戦傷を負い、戦争の被害を受け、家業を失った者の生活に至っては、私は深く心配するところであります。思うに、これからの大日本帝国が受けるであろう苦難は並大抵のものではありません。あなたがた臣民の心の内はとてもよく分かっています。けれども、私は時代やその状況に従いつつ、耐えがたいことに耐え、我慢ならないことにも我慢をして、未来のために平和な世の中が開かれてほしいと思っております。
私はここに天皇を中心としてまとまる国の姿を守ることができました。そして忠実にして善良なあなたがた臣民の真心を信頼しています。そして私は常にあなたがた臣民とともにあります。もし感情のおもむくままに事件を起こしたり、臣民同士がお互いに排斥したりして時局を混乱させ、正しい道を踏み外して世界から信用を失うようなことがあれば、私はそれを最もいさめたいと思います。どうか、国を挙げて家族のように一致団結をし、我が国を子孫に伝え、神代から続く日本の不滅を信じ、これから責務は重く進む道は険しいとは思いますが、持てる力を国の将来の建設に傾けて、道義心を厚くして、決して揺るがない信念を持って、我が国のよいところを発揮して世界の流れから遅れをとらないようにしてほしいのです。
あなたがた臣民には私の意図をよくよく理解して行動してもらいたいと思います。
御名御璽
昭和20年8月14日 |
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世界の諸国民や各国の有識者からの感謝のお言葉 |
自存自衛と大東亜の解放を掲げて戦った戦争は、世界の諸国民や各国の有識者からは、このように受け止められている。
■イギリス
◎アーノルド・J・トインビー 歴史学者
「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)
■アメリカ
◎ジョイス・C・レプラ コロラド大学歴史学部教授
「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」 (「東南アジアの解放と日本の遺産」)
◎ジョージ・S・カナヘレ 政治学博士
「日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事のなかで、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。…このような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。」 (「日本軍政とインドネシア独立」)
■オランダ
◎サンティン・アムステルダム市長 現内務大臣
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、…その誇りを取り戻すべきであります。」
(1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)
■タ イ
◎ククリット・プラモード 元首相
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」
■マレーシア
◎ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」
◎ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」
◎ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした」
■インドネシア
◎モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
◎アラムシャ 元第三副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの投智なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である。」
◎サンバス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
◎プン・トモ 元情報相
「日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。」 (昭和32年の来日の際の発言)
■インド
◎ラグ・クリシュナン 大統領
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」 (昭和44年、日本経済新聞)
◎ハビプル・ラーマン 元インド国民軍大佐
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなければならない。」
◎グラバイ・デサイ インド弁護士会々長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお蔭で30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」
(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)
■スリランカ
◎l・R・ジャヤワルダナ 大統領
「往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。…当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」 (1951年、サンフランシスコ対日講和会議演説)
■ミャンマー
◎バー・モウ 元首相
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。」 「もし日本が武断的独断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジアの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかったであろう。日本のために惜しむのである。」(「ビルマの夜明け」)
■シンガポール
◎ゴー・チョクトン 首相
「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」(「諸君!」平成5年7月号 |
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令和七年八月十五日 日本保守党 代表 百田尚樹談話 |
さすがにベストセラー作家の談話は、分かりやすく誰でも良く理解できる説得力ある内容だと思います。石破総理は「反省」という言葉を用いて批判されていましたが、石破総理は百田代表に談話を執筆依頼すれば、評価されたのにと思ってしまいます。来年からは、この百田談話と比較されますから総理談話も気を使うと思います。 |
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本日、大東亜戦争終結から八十年を迎えました。
あの戦争の記憶をたしかに持つ国民はごく僅かとなりました。終戦当時、成人であった人が百歳を超える歳月が過ぎ、大東亜戦争はすでに歴史となったと言えます。ただし、惨禍を繰り返さないために、あの戦争がいかに始められたかを総括する必要がありますが、日本政府はこれを避けてきたとも言えます。
大東亜戦争の直接の原因は、昭和十六年八月のアメリカからの石油の全面禁輸です。当時、日本が全消費量の八十パーセントを頼っていたアメリカの石油を止められるということは、国としての「死」を意味しました。このとき石油備蓄がどれくらいあったか正確なところは不明ですが、仮に半年分あったとしても昭和十七年の二月には日本の経済活動はほとんど途絶えることとなったでしょう。当然アメリカ政府はこのことをわかっていました。
日本が「死」を回避するには、アメリカから突きつけられたハルノートの要求をのむか、油田を得るためオランダ領インドネシアに侵攻するかの二者択一でした。
仮にハルノートを受け入れれば、即死は免れたでしょうが、緩慢な死が訪れたことは疑い得ません。そうなっていたなら、当時の世界のほぼ全ての有色人種と同じく、日本は欧米列強の支配下に置かれたことでしょう。
二十世紀初頭の世界は、今の私たちが見ているような世界ではありませんでした。アジア、アフリカ、中南米の有色人種のほとんどが独立した国を持たず、欧米列強に支配され、ひたすら収奪される憂き目に遭っていました。
ヨーロッパの国々による植民地支配の歴史は古く十五世紀に遡ります。いわゆる「大航海時代」です。列強は十九世紀までに世界の有色人種が住む地域のほとんどを植民地にしていましたが、そんな彼らから見れば、極東に位置する日本は最後に残された“手つかずの地”でした。
十九世紀後半、ペリー率いるアメリカの東インド艦隊(黒船)によって鎖国の扉をこじ開けられた日本は、必死に植民地化を防ぎました。
当時は「力による現状変更」が当たり前でした。強い者が弱い者から奪う、まさしく「弱肉強食」の世界です。明治政府は列強の侵略に備えて富国強兵政策をとり、産業振興に力を入れました。その結果、世界史上でも類を見ないスピードで近代化を成し遂げ、欧米に追いつき、独立を守り抜いたのです。
二十世紀初め、日本は南下作戦を取るロシアと戦いました。日本が初めて白人の国と戦った戦争です。もしこの時敗れていれば、日本がロシアの植民地となった可能性も否定できません。その後はソビエト連邦の一部となって共産化され、中央アジアの共和国や自治区と同じ運命を辿ったかもしれません。当時、白人が有色人種を支配するのは当然と考えられていたからです。
しかし日本はロシアに打ち勝ちました。このことは欧米を驚かせ、世界の有色人種に大いなる希望を抱かせたのです。
そののち、第一次世界大戦後の講和会議の場で、日本は国際連盟の規約に「肌の色の違いによる差別はなくそう」という文言を入れようと奔走しました。今日、世界共通の認識となっている人種差別禁止の概念を、世界で初めて主張したのが日本であったことは誇っていいと思います。ただ残念なことに、これは米英両国に阻まれました。
日露戦争での勝利や第一次世界大戦の戦勝国となったことで、欧米諸国は日本への警戒を強めることとなりました。特にアメリカは満洲の権益で日本と対立するようになり、国内でも日系人排斥政策をとり始めます。この頃からアメリカは日本を仮想敵国と見做すようになっていたのです。
さらに満洲をめぐって日本と対立する中華民国を欧米列強が援助したこともあり、日本と列強の溝は深まっていきました。このあたりの歴史はとても複雑で、短い談話では語り得ません。前述のハルノートも日本が満洲から手を引くことを要求していました。
今日、満洲を日本が中華民国から奪ったと認識する向きがありますが、これは誤りです。もともと満州は女真族(満州族)の故地であり、中華民国が建国時に満洲を自国領だと宣言したに過ぎず、同国は一度も実効支配していません。それ以前も漢族が満洲を支配したことはなく、歴代の漢族王朝からは「化外の地」とされてきました。
話は数世紀も遡る歴史に及びましたが、大東亜戦争の要因を突き詰めようとするとき、欧米列強の植民地政策および有色人種への支配の歴史を無視することはできないのです。
大東亜戦争と第二次世界大戦はかなりの部分で重なっていて、しばしば同一視されますが、実は両者は別ものです。たまたま軍事同盟を結んでいたドイツが英仏ソ(後にアメリカ)に対して行なった戦争とほぼ同時期に、共通の敵と戦ったことで同じ戦争と見做されていますが、二つは違う戦争です。
大東亜戦争を語る際、日本はアジア諸国を侵略したとする論がありますが、これも正確ではありません。日本が戦った相手は、東南アジアを植民地にしていたイギリス、フランス、オランダ、アメリカであり、当時、ベトナム、インドネシア、マレーシア、カンボジア、ミャンマーといった国々は存在しませんでした。
だからといって日本に責任がないとは言いません。これら地域における日本の占領統治は必ずしも寛大なものではなく、一部には資源の収奪もありました。
しかし結果的に、日本が欧米列強をアジアから追い出したことで、戦後、東南アジア諸国の独立が成った面もまた否定できません。
シンガポールのゴー・チョクトン元首相はこう言っています。
「日本軍の占領は残虐なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は、自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後十五年以内に、アジアの植民地は、すべて解放された」
インドのサルヴパッリー・ラーダクリシュナン元大統領の言葉はこうです。
「インドでは当時、イギリスの不沈艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた」
ミャンマー(当時はビルマ)のバー・モウ元国家元首は次のとおり述べています。
「歴史的に眺めて見ると、日本ほど、アジアを白人の支配下から解放するのに尽くした国は、他にどこにもない」
これらの言を理由に、日本の占領を良しとするわけではありませんが、世界史を俯瞰すれば、日本軍の戦いによってアジア諸国の独立が進んだことは確かであり、日本の果たした役割が小さくなかったと見るのが自然です。
また大東亜戦争終結後、多くの日本兵が戦地に残り、アジアの人々と共に欧米からの独立を賭けて戦ったことも特筆しておきます。インドネシアでは約二千人の日本兵がインドネシア人と共に四年にわたってオランダと戦い独立を勝ち取りました。同国の英雄墓地に、この戦いで亡くなった多くの日本兵が眠っています。戦後、故国に戻れたはずの日本兵が「インドネシアの独立を叶える」という約束を守るため命を捧げたのです。
今日、国内外で、日本の戦争責任を追及する声があります。しかし、大東亜戦争の責任が日本のみにあるという考え方は正しくありません。「日本だけが悪かった」という一方的な見方で、何世紀にもわたる欧米列強のアジア支配の歴史や、明治維新後の日本への列強の圧力を考慮に入れないままでは、大東亜戦争の本質を理解することはできません。
二十世紀はまさに戦争の世紀でした。二つの世界大戦以外にも多くの戦争がありましたが、日本は大東亜戦争において多くの国々で少なくない人命を奪い、同時に日本もまた祖国に殉じた二百三十万の兵士を含む三百万余の尊い命を失ったのです。
東京大空襲、広島と長崎の原爆投下という世界史上でも稀な惨禍にも見舞われました。
にもかかわらず、戦後の日本人は「自国だけが悪かった」という意識を強く持ちました。戦争責任が日本のみにあり、欧米や中華民国にないかのように捉えるのは明らかに偏った考えです。贖罪意識は悪いことではありませんが、強い自虐思考は歴史と戦争への理解を歪め、思考停止を招く危険さえ孕みます。これが今日、アジアの一部の国々との関係をおかしくしている一因でもあります。
戦後の日本は、世界が驚倒するほどの復興と経済発展を遂げ、世界平和に貢献しました。戦時に占領した国々を含む途上国へ、多くの援助を行い、敵国だったアメリカとは強固な同盟と親善関係を築いています。
戦後八十年、戦争の「罪」は償ったと言えるでしょう。少なくとも、今を生きる日本人がその罪を背負う必要はありません。歴史となった戦争を振り返るのは、本来歴史家の仕事です。私たちは歴史を政争の具とせず、未来の平和と繁栄をいかに構築するかを考える標としたいと思います。
令和七年八月十五日 日本保守党 代表 |
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