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野沢の話題 5 |
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1 遊佐町「スマホ道場」講師は地域おこし協力隊の皆さん
~遊佐町の65歳以上の高齢者は、5,507人のうち、15人に一人が門下生
2 野沢から久々に遊佐町の議員が誕生した。
~2004年の少年議員選挙で野沢から立候補した佐藤永里さんが当選です。
3 過疎化対策「飛島スマートアイランドプロジェクト」は陸の孤島に応用出来るか。
~いずれ「陸の孤島」と呼ばれる集落にも、間違いなく訪れる問題です。
4 新潟延伸案、新庄延伸案、どっちでもいいから早く延伸して欲しい
~ 「二兎を追う者は一兎をも得ず」にならないかと憂慮しています
5 せめて町長や町議会議員の皆さんは、率先してSNSで情報発信して欲しい。
~議員の皆さんが情報発信しなかったら、何を考えているか分かりません。
6 野沢から田園調布の社長夫人になって大出世した女性の話し
~ 「素敵な明日」のような明るい人生を歩まれたと思っています。
7 野沢の梅津幸士さんが傾聴ボランティア養成講座 受講生募集中
~今年の傾聴ボランティア養成講座は終了しており、来年再び募集するそうです。
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1 遊佐町「スマホ道場」講師は地域おこし協力隊の皆さん |
このホームページを再配信して一か月半、ようやくネットにつながっているパソコンでグーグルや ヤフーの検索エンジンや、iPhoneのSafari(サファリ)などで検索出来るようになりました。そこで、兄弟や近い親族、友人らに電話で検索要領などを伝えているのですが、殆どが無関心状態で、まるで時代が違う人達と話している感覚です。
電話の相手は全員が75歳の私より年下で、ボケるにはまだ早すぎる年齢です。
このホームページは、私が50歳のとき作成し配信したものです。両親が我が家を訪問したとき、これを見せると「こんなことが出来る時代になったのか。」と驚いていましたが、それ以上の関心を示すことありませんでした。こんな状況なので、兄弟姉妹、親戚、友人らにも何も教えていません。そのうち父親も死亡し、10年位配信した頃にホームページを遮断しています。それが時代が流れて、親族らの携帯やスマホを覗くと、皆さん高性能の機種を手にしているので15年ぶりに再配信の決断をしたのです。
このような経緯は、今回のテーマにはどうでもいい話しですが、近年では「OA 時代(Office Automationの略)」とか「IT時代(Information Technologyの略)」などと言われています。
しかし遊佐町界隈では、その実態は光回線を会社や店舗の事務所、自宅に入れてないなど、まだまだお寒い現状と感じています。光回線を入れてWi-Fiに接続すればパソコンは勿論、スマホのデータ使用量を気にせず、家族全員のスマホのデータ量が少なくスマホの料金を大幅に節約できるのです。
さて最近、遊佐町の地域おこし協力隊の渡辺真央さんが開く「スマホ道場」が好評と知りました。 せっかく高価なスマートホンや携帯を持っていても、使い方が分からなかったなら「宝の持ち腐れ」ですから、この「スマホ道場」に足を運んで欲しいものです。なお、スマホ道場を立ち上げた初代師範の渡辺真央さんは今年(2025年)5月で協力隊を卒業しています。
そして、二代目師範は秦秀平さん、三代目師範は吉田実さんとありますが、渡辺真央さんも卒業後もスマホ道場に携わる予定ですとあります。
私の親族も是非受講して欲しいものです。 |
下段は、今年の当面のスマホ道場の開催日程です。このようなとき、野沢の公民館は
Wi-Fiに接続していないので講習会も開催できないことは残念なことです。 |
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2 野沢から久々に遊佐町の議員が誕生した。 |
この情報は、2004年(平成16年)の「第二期遊佐町少年議員」の選挙当時の古い話しです。
約20年前ですが、野沢から少年議員に立候補された佐藤永里さんが見事に当選していましたので、改めて 紹介致します。永里さんは当時、酒田西高校三年とありますから、現在は37歳位でしょうか。今も野沢にお住まいで活躍されているかは不明ですが、あなたのような積極的な方は、野沢では貴重な存在です。
野沢出身の町会議員や町長は、1954年(昭和29年)9月7日就任したハチジョロの遊佐町初代町長・渋谷八三郎以来誰もいないのです。第一、立候補した方もいないハズです。町会議員が野沢から誕生しない理由は、有能な人材は居るのに「まとまりがないから」と言うことです。これにも理由があって野沢の上・中・下は、昔は別々の村だったのです。、1876年(明治9年)、「上野沢村」「下野沢村」「下野沢新田村」が合併し「野沢」として発足しています。永里さんは何処の家なのか、現在の様子などは全く知りませんが、野沢には貴方のような積極的な人材が少ないのです。それでも、最近では、時代も変わって若い人達の中に適任者が育っているものと期待しております。
本物の町会議員に立候補するには、まず、二元代表制や地方分権など地方自治の基本的な知識が大切です。そして、町や村の実態と問題点を正確に把握して、その問題に対して、独自の視点から具体的な解決案や対策を勉強して欲しいものです。それに、選挙は一人では戦えませんから、周囲から「あの人ならなって欲しい」と積極的に後押しされるような人物であることです。また、自分の出身地周辺者や仕事関係者、同窓生らからの支援は大切ですから、票を固める作戦も大切です。
因みに、松永裕美町長は「遊佐町での高齢者の足(交通手段)の確保」「小学生の英語教育の充実や農産物の魅力発信の強化」「町の災害対応力の向上」等を公約しています。果たして取り組みの現状は如何でしょうか。町会議員は町長のチェック機能を果たす必要がありますから、対抗意見も重要です。また女性候補は、男性候補より有利な面が多々ありますが有力な支援者や選挙参謀をお願いして、数年かけて緻密な作戦を練ることです。世間で言われるような、多額の資金をかける必要はありません。この記事は、佐藤さん個人を特定したものではないことをお断りしておきます。
なお、近年の遊佐町会議員の当選ラインは約400票です。 |
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3 過疎化対策「飛島スマートアイランドプロジェクト」は陸の孤島に応用出来るか。
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酒田市飛島勝浦の「なごし旅館」には、父親の惣作はビアク島で戦死した鈴木芳郎上等兵の親族が経営しているからと、何度か出かけては飛島名物のリットル瓶入り「イカの塩辛」を土産に買ってきていました。また、甥が酒田郵便局に採用されると、直ぐにも飛島郵便局に約5年勤務していました。数年経ったころ、「島勤務が良いのは島部派遣手当が付く事と無駄使い出来ないので貯金が貯まること」と語り、更に、結婚相手に話しに及ぶと、「島には若い女性は一人もいない。」などの島勤務の厳しい現状を語っていました。
さて、飛島は1950年(昭和25年)に酒田市に編入され、昭和30年(1955年)「離島振興法」が出来ると最初に離島振興の指定を受けた島と聞いています。以来、産業振興や生活の不便解消策などの対策がいろいろ講じられたものの、人口減少に歯止めはきかず、超高齢化が加速しており、かつては1500人超の人口が最近では150人前後で、且つ高齢化が進み平均年齢は75歳くらいと聞きます。
以前は、幼稚園、小、中学校も全て揃っていたのに、現在は全て閉鎖だそうです。
このような生活環境が厳しい飛島に対して、まず「海底光ファイバーケーブル及び島内の光通信環境」を整備しています。そして、島内外の通信環境を整備したほか、既存の公共施設内に日用品販売施設を整備し、島民及び観光客向けの、スマホから注文して、指定した店舗で受け取り・ 支払いができる「スマートオーダーシステム」を構築。更に、e-モビリティ(エレクトロモビリティ)を活用した配送サービスを実施。医療機関として「酒田市立飛島診療所」は看護師2名が常駐し、急患がいる時は酒田市立八幡病院の医師がテレビ電話による遠隔診療を行なうと知りました。
これらの取り組みは、国土交通省が推進する「スマートアイランド推進実証調査」の採択を受けた実証実験であり、ICT(情報通信技術)などの新技術を用いて離島特有の課題解決を図る目的で推進しています。(詳しくは下段のYouTubeで)
残念ながら、飛島のような過疎化・人口減少は、いずれ日本全域に及ぶことが予測されています。これに対して、日本の先端技術を活用した取り組みは、飛島同様に陸の孤島になりつつある集落にも、いずれ応用出来るものと期待しております。
【具体的内容】
・本土と飛島を繋ぐ海底光ファイバーケーブルを整備するとともに、島内の光回線網を整備し、高速通信環境を整備した。
・公共施設を一部改修し、日用品や観光客向けの商品販売を行う店舗を整備した。
・店舗で扱う商品及び飲食サービスをスマートフォンで島内どこからでも注文可能なスマートオーダーシステム「うみねこちゃん」を開発した。
・注文された商品は、小型e-モビリティを用いて配達を行った。(ガソリン調達の問題、狭隘な道路の問題から小型e-モビリティを選定)
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4 新潟延伸案、新庄延伸案、どっちでもいいから早く延伸して欲しい。 |
「日本列島改造論」は1972年(昭和47)に田中角栄通商産業相(当時) が発表した政策構想で、国民経済の発展と、国土の均衡のとれた開発と、国民生活の向上を目指す総合開発を目的としたものでした。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの田中角栄に期待すると共に、この国土の均衡のとれた開発計画に心躍らせたものでした。特に、1972年(昭和47年)に発表した政策綱領「新幹線を全国に・・」との田中角栄の鉄道政策には無条件に期待し、「いずれ東京から3時間くらいで帰省出来る。」かと夢見たものでした。しかし、あれから53年の歳月が流れています。
これまで聞こえて来た新幹線関連報道では、新潟から羽越本線を北上する案、陸羽西線の新庄から酒田方面に延伸する案がありましたが、決めかねているように見えます。新幹線事業のような大規模公共インフラ整備は、裏側で激しい駆け引きがあるそうですが、それより、利用者の利便性を優先した決断が欲しいものです。
現在、陸羽西線の新庄~余目間は、高規格道路建設のため運休しバス代行を行なっています。
この線は以前からミニ新幹線構想がありましたが、最近では声が小さくなってます。陸羽西線運休は道路用トンネル改修工事が主目的のようですが、出来れば陸羽西線の線路も改修して山形新幹線を新庄から酒田まで延伸出来ないものかとも思います。羽越本線の新潟からの延伸ばかりに拘っては、村上から温海辺りのトンネル工事の難しさもあり、あと50年はかかりそうです。
そして 「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということにならないかと憂慮しています。 |
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5 せめて町長や町議会議員の皆さんは、率先してSNSで情報発信して欲しい。 |
「選挙ドットコム」は日本最大級の選挙・政治ポータルサイトで、政治的公平・公正を旨 として、イチニ㈱が運営しています。”選挙をオモシロク”を合言葉に、政治家や政党、キーマンへのインタビューや、選挙の結果解説など、選挙に関係する様々な情報を配信しています。とアピールしています。「選挙ドットコム」のホームページで遊佐町の町長選挙や町議会議員関連を調べても、関係者からの情報発信を殆ど探すことは出来ません。
辛うじて、見つけたのは、松永町長と遊佐議員のフェースブックくらいです。とわ言え松永裕美町長の最終更新は去年の3月です。辛うじて合格と思うのは遊佐亮太議員でフェースブックで頻繁に情報発信しています。私どもは、この方の情報で町の現況を知ることが出来るし、そして、議員個人が何に関心を持って活動しているか知ることが出来るもので、町全体の活性化につながると思います。議員の中には、定期的な活動報告会やチラシなどで有権者に知らせるから、「そんなもの必要ない」と反論意見もあるでしょうが、世の中の趨勢を判断して、SNSによる情報発信も真剣に加えて、インフルエンサー(influencer)になって欲しいものです。そして、「選挙ドットコム」を戦略的に活用するくらいの意気込みで願いたいものです。
尚、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は基本的には無料です。 人気サービスである「X(旧Twitter)」「LINE」「Instagram」「Facebook」「YouTube」はいずれも無料です。 |
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下段は「選挙ドットコム」からの情報です。SNS利用状況が一目瞭然です。
「選挙ドットコム」に顔写真をメールで送信すれば掲載して頂けます。
それなのに、遊佐町町議会議員の候補者は誰も、その手続きをしていない事が分かります。 |
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6 野沢から田園調布の社長夫人になった話し |
良く知っている家ですが、ここでは家号や名前は一切伏せます。最近(6月11 日)「徹子の部屋」に鰐淵晴子さんが出演していたので55年ぶりに思い出したことです。鰐淵晴子(1945年4月22日生)は、私が高校一年当時の1965年(昭和40年)、石坂洋次郎の小説をドラマ化した『風と樹と空と』に出演していました。内容は、福島県出身の沢田多喜子(多喜ちゃん)が東京の田園調布の社長宅のお手伝いさんとして就職するのですが、田舎育ちの多喜ちゃんが慣れない土地で巻き起こす様々の騒動を明るく描いていました。
このお手伝いさんのドラマに刺激されたのかは知りませんが、この直後頃、野沢から田園調布の某会社の社長宅のお手伝いさんとして就職した女性がいました。就職した経緯は知りませんが私が東京に出て二年目頃、帰省していたところに、その女性の母親が我が家に訪ねて来て「〇〇が田園調布の社長の息子と結婚 した。コノジョ(最近)行って来た。立派な家だった。」などと自慢げに語りに来たのでした。そして、住所と電話番号まで記載したメモを渡され、「電話してみてくれ」と頼まれたのでした。我が家の父親も「本当の玉の輿に乗った話だの―えがったのー」と驚いていたものです。
当時、私は文京区に居住しており、田園調布の事は知ってはいましたが行った事は無かったのに、数日後に義務的に電話すると本人が若奥様ぶりの明るい声で電話に出てくれました
私はわざと方言丸出しの言葉で話すと「あんらー、おぼげだ(驚いた)」と直ぐに切り替えていました。たいして話す話題もないので「おめでとう」と挨拶程度の会話だけで責任を果たしたと思い電話を切っています。その後は、そこの父親が社長を引退すると、その息子が社長に就任し正に社長夫人になった話が聞こえて来ました。あとは思い出すことも無かったのですが、鰐淵晴子さんのテレビ出演で思い出し、ついでに、昭和35年当時の写真まで見つけたのです。写真は、縮小しぼやかしておきますが、本人や家族の皆さんが見たら分かると思います。
そして鰐淵晴子さんが歌った「素敵な明日」のような人生を歩まれていると思っています。
「何が楽しいのと 人に聞かれたわ そんな様子はしていないのに 風が唄ってる樹々がそよいでる 空が美しく 澄んでいる 若い私は それだけで生きてることが楽しくなるの」 |
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7 野沢の梅津幸士さんが傾聴ボランティア養成講座 受講生募集中。 |
遊佐町野沢の梅津幸士さんが、「傾聴ボランティア養成講座」の受講生募集中とあります。
「傾聴ボランティア」は、はじめて聞く言葉で、たいした知識はありませんが、「傾聴」は「耳を 傾ける」という語感からは何となく意味は伝わってきます。人は長い人生の中で、幾多の困難な場面に遭遇するものであり、同時に様々の悩みを抱えるものです。その悩みを人に話すことで、気持ちがスッキリしたり、心が軽くなるものです。きっと、「傾聴ボランティア」とは、その被災者・被害者・介護者らの困っている方々の話を聴くという献身的な活動の手助けをするボランティア活動と思われ、とても立派な活動と思います。
何か悲惨な災害や事件が発生すると、被災者や被害者の「心のケアが大切」などと簡単に言いますが、簡単ではないことは私も知っています。この専門家としては、「精神科や心療内科の医師」「カウンセリングの専門家」などがおられますが、一般的にはこのような機関は、敷居が高いし、金がかかるし、人材が少ないのです。
この穴埋めをしようとしているのが梅津幸士さんの活動と思われます。
梅津幸士さんが発信している資料では、「話を聴く」姿勢から、さまざまな困難の中に生きている人達の声に耳を傾けることで、気持ちが落ち着き、考えが整い、生きる力が湧くという援助を目指します。この「傾聴による援助」を学び、実践するボランティアを育成することが講座の目的です。講座の修了生は在宅(高齢者)や県内約30ヶ所の介護施設(酒田市:かたばみ荘、幸楽荘、芙蓉荘、あおい、シェモア、ライフケア黒森、さくらホーム広野)でボランティアとして活動しています。なお、コロナ禍以後、施設訪問はお休みしていましたが、今年から一部再開しています。」
とあります。今朝(2025.6.14)、梅津幸士さんに直接電話で確認したところ、今後も「傾聴ボランティア養成講座」を続けると語っていました。なお、今年の傾聴ボランティア養成講座は終了しており、来年再び募集するそうです。
【お問い合わせ先】〒999-8303 飽海郡遊佐町野沢字仁田々200 梅津幸士
電話 090-9533-0532
メール kogi@sea.plala.or.jp 山形県傾聴塾指導者 梅津幸⼠
電話 090-9533-0532(ショートメールでのご連絡/お問合せもOK)
荘内日報社-ニッポー広場 |
傾聴ボランティア養成講座 受講生募集中
傾聴ボランティアは、さまざまな困難の中に生きている人達の
声に耳を傾けることで、気持ちが落ち着き、考えが整い、生きる力
が湧くという援助を目指します。この「傾聴による援助」を学び、
実践するボランティアを育成することが講座の目的です。
講座の修了生は在宅(高齢者)や県内約30ヶ所の介護施設(酒田市:
かたばみ荘、幸楽荘、芙蓉荘、あおい、シェモア、ライフケア黒森、
さくらホーム広野)でボランティアとして活動しています。
なお、コロナ禍以後、施設訪問はお休みしていましたが、
今年から一部再開しています。
お問い合わせ先:〒999-8303
飽海郡遊佐町野沢字仁田々200 梅津幸士
電話 090-9533-0532
荘内日報社-ニッポー広場 |
【日本傾聴塾】傾聴ボランティア 日本傾聴塾
「聴くことは それだけで 援助になる。私たちは いつでも、どこでも、誰にでも援助になる聴き手として傾聴活動を実践しています。」とアピールしています。 |
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